今日は少し基礎法学の分野に触れたいと思います。
普段皆さんが、勉強の際に使用されている「判例集」、ここには主に最高裁の判例がたくさん載せられているわけですが、今日は普段何気なく勉強している「判例」について、これに法的な拘束力(ここでは法源性と言っておきます)があるのかということを考えてみたいと思います。
※法源…法の存在形式のこと。裁判官が裁判の基準(裁判規範)とすることのできる法形式のこと。
皆さんの中には、「判例法」という言葉を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?
この言葉から、判例には法律と同等の法的拘束力があるのではないかと思われがちですが、少なくとも日本においては、少し異なります。
では、まず本題に入る前に、判例とはなにか?についてお話します。
裁判というのは、具体的な事件について行われるもので、そこで行われた判決の効力は、その具体的な事件についてのみ生ずるものなので、例え同じような事件であったとしても、別の事件であれば、その効力が及ぶものではありません。
しかし、同じような内容の事件であれば、同じような判決が出されるのがやはり望ましいですよね。
そこで、ある判決が、後に起こった同じような事件について「先例」としての価値を持ち、裁判をする際の基準として一定の拘束力を持つと認められるようになったときにその「ある判決」は、「判例」と呼ばれ、後の事件については、それに沿った形で判決がなされるようになるわけです。
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・判例に法源性はあるのか?
日本国憲法第76条第3項には、裁判官は憲法と法律のみに拘束されると書いてあり、裁判所法第4条では、裁判は当該事件についてのみ下級審を法律上拘束するとあります。さらには裁判所はいつでも判例を変更することができます。(裁判所法10条3号)
これらのことから、法制度上、判例の拘束力というものは肯定できず、形式的には判例の法源性は認められないと考えることができます。
しかしながら、判例の拘束力が全く否定されているかというとそんなこともなく、以下の理由から、事実上の拘束力は認められていると言えます。
・最高裁が判例を変更する場合は、大法廷で行わなければならない。(裁判所法10条3号)
・最高裁の判例違背が上告理由として認められている。(刑事訴訟法405条第2項等)
実際、最高裁が判例を変更するのは、極めて困難なことで、滅多なことでは判例なんて変更されません。また、下級審が最高裁の判例に反する判決をした場合でも、ほとんど破棄されるのが現状なので、判例には「事実上の拘束力」すなわち「事実上の法源性」が認められると考えることができます。
英米の判例法主義と異なり、日本においては、制定法主義を取りつつも、判例については、事実上の法源性は認められている…というまとめで今回は終わりにさせていただきます。
お読みいただきありがとうございました。
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